なんとなく、気にはなっていた。
東京の、じっとりした、暑い夏の日。
誰かが、ごみを出し忘れたのだと思った。
2日経って。帰り道、アパートの階段を登ったところで、ふと深刻なことを思ったのだけど、それにしても「あの匂い」とは、違っているような気がしたんだ。
そして、私は、そのまま旅行に出た。
留守宅に先に帰った家人から、電話。
警察が来たよ、って。
下階の隣人が、亡くなっていた。
なにか、事件であったのなら、引っ越そうと思った。
でも、その後、私が戻った時には、ひっそりと静かにすべてが片付いていた。
腐敗して初めて気づいてもらう死。東京ぽいな、とまず思った。
それから、あっというまに殆どの部屋が引っ越しをし(その気持ちもわからなくもないけれど)、
残った左の隣人と、空っぽな恐怖感を共有する。
あの日から、彼女は、香を焚いていた。匂いの記憶を追い出すように、神経症的に、朝も昼も夜も。そのいかにも熱帯のスラムでも嗅いだような匂いは、私の鼻腔にねばと纏わりついて、離れない。
ベトナムの、ダラットだったかな。
何気なく、奥まった路地裏に入った。微かな、ろうそくの明かりの下、人影がごそごそと集まって、何かを食べているんだけれど、普通の食堂屋台とは、気配が違う。
強く香の匂いが漂っている。
その仄暗い景色に目を凝らして、それが「残飯屋」の食卓だと気がつく。すえた臭いを消すための、香の細く、でもくっきりとした香り。影絵みたいな、人の影。
そんなことを思い出しながら、熱帯夜の夜中過ぎ、また眠れなくて、ぼーっとヴェランダで煙草を吸ってた。
香の匂いを消すために。
エアコンの室外機の低い唸りと、遠くに聞こえる環七の車の音。
すごく、東京っぽい、東京の、思い出。
と、今ここで、この街で、思い出すと、すごく遠いことみたいな気がする。
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