予想に反して、そこにあったのは「街」だった。まるごと一つ。すっぽりと。
プラハから急行列車で一時間半、プ ルゼニュ、ドイツ語読みではピルゼン。中世そのままの空気を呈する街並みが、60年代に盛栄した鉄鋼業の煤煙で鈍くくすんでいる。この小さな街の風景が、 不思議と頭のどこかに焼きついていて、消えない。この街は、どこを歩いていても、聖バルトロミェイ教会の尖塔が見える。
地下への入り口は、その教会を目指してゆけばいい。プルゼニュの地下道は、街の教会を地面の下でひっそりと繋いでいる。その広場の角をちょっと曲がったところ、現在は博物館があって、そこから地下の街に下りる。
入場料を払い(200円弱だ)、備 え付けのヘルメットをかぶり、老ガイドの後に続く。空気の匂いが違う。彼の解説は、チェコ語とドイツ語と英語で行う、一人で全部。この国の歴史についてふ と実感するのは、そんな瞬間。(おそらく彼は私がロシア語で助けを求めたら答えてくれるのだろう。たぶん。)
地下道、という英語訳から、トンネ ルのようなものを想像していた。しかしそこにあったのは「地下都市」だった。最も古い部分はこの南15km、教会の下にあるという。当初は街の周囲を流れ る二つの川から水を引き、食料を貯蔵するために使われていた。しかしこの国の歴史は、宗教戦争とその後の二度の大戦に蹂躙される。人々は地下に潜り、その 歴史をくぐり抜けた。こうして、はりめぐらされた水路は「地下都市」となった。エミール・クシュトリッツァの「アンダーグラウンド」という映画を思い出 す。そしてそれが荒唐無稽な空想の産物でないことを思い知る。ふむ。
地下の街に残る、古い古いボヘミア グラスや食器から、当時の人々の暮らしを想像してみるのは楽しい。しかし、たくさんの井戸と排気口が、地下にいるという生々しさを思い出させる。今は展示 用の明るい照明に紛れている、暗闇の深さについて思う。(我々は後にその恐怖を追体験することになる。ヴェトナムの地下壕で。)
外に出ると、教会の鐘の音が聞こえた。日曜日の朝。漂っているのはただ平穏な気配。
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