時々、あたまが疲弊すると(精神が磨耗する、というか。でもアンバランスで、からだにはちからがあるとき)、黙々と、料理をする。
バザールに行って、野菜を買って、卵も買って、果物屋にも寄る。Koreanのおばさんから、ごま油も買う。
全部、テーブルに並べる、色とりどり。
ただひたすらに、手順だけを反芻する。包丁の刃先を凝視し、熱い湯気を吸って、弾ける音を聞いて。
コリアンダーを刻んで、むせかえるような青い葉の匂い。豆をつぶす手ごたえ。手の中にある、いきもの。
しばらくすると、みんな、鍋の中、フライパンの中、しんなり、くったり、いい色、いい匂い。
しっかり「ごはん」になって、テーブルのうえ。
これもまた、ずらり、と並べる。
終わる頃には、程よく疲れて、無口になる。
今はまだ、「食べる」欲求が戻っていなくて、少ししか、要らないのだけど、こうやって、少しずつ、いきもの、のちからを、分けてもらっている。
(食べられないので、そのほとんどは冷凍庫行き、だけど。)
時々、痛かったとき、からだと、あたまが、切り離せると、いいのに、とか乱暴に思った。
そうしたら。
少しずつ。少しずつ。よくなるよ。噛んで含めるみたいに、繰り返してくれる。
急いで、元気にならなくても、いいのかも。
この一年、外国にいるせいではない病気(感染症とかではなく)、慢性の、いままでも抱えていた病気、がよく出る。
病気だと、ごめんなさい、って思ってた。
いらいらしてやつあたりしちゃったり、楽しみの予定を急遽反故にしたり、帰宅後無言で毛布に包まっていたり。
でも今は、少し、いいや、って思う。
週日は、朝起きて、機械みたいに仕事をして、定時まではきっちりがんばって、でもそこまで。
そうしたら避難して、たくさん本を読んで、たくさん眠る。
暑い夏の夕方は、プールの、水の中で、気持ちのいい時間を少し。
夕日の終わりの、もう明るくなくて、最期のひとかけらみたいな、淡い光を吸う。
以前みたいに、かりかり勉強したり、いろんな人に会いに行ったり、していないけど。
野菜のごはんを少しだけ食べて(菜食者、いい加減だけど)、小さく呼吸をして、樹や水のたくさんあるところに座って。
軽いからだにも、慣れてきたよ。
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